校長室から(2023年度)

2学期終業式「一年の計は元旦にあり」(校長先生の話)

2023年12月22日 12時00分

 2学期終業式で私がお話しした内容です。


 今回、学級閉鎖により、おうちにいるお友達が多いので、このような形での終業式となりました。まだ、体調をくずしているお友達もいるようです。ゆっくり休んで、早く元気になってほしいです。
 今、1年生と4年生のお友達が、2学期をふり返って、作文を発表してくれました。2人とも、一番思い出に残っている遠足をテーマにして、そのとき「感じたこと」や「考えたこと」そして、「これから、がんばりたいこと」を、自分の言葉で丁寧に表現することができました。とてもすばらしい発表でした。
 2学期は、遠足、宿泊学習、修学旅行をはじめ、音楽鑑賞会や駒小フォーラム、持久走練習など、たくさんの行事がありました。みなさんも、2学期をふり返って、そのときに「感じたこと」や「考えたこと」を思い出しながら、「これから、がんばりたいこと」を考えてみましょう。
 さて、明日から、冬休みが始まります。12月31日は大みそか、1月1日には、新しい年、2024年令和6年を迎えます。新しい年を迎えるにあたって、校長先生から1つお話しします。
 「一年の計は、元旦にあり」という言葉を聞いたことはありますか。「計」とは計画のこと、「元旦」というのは、「1月1日の朝」のことです。「その年に、やりたいことや目標は、元旦に計画を立てたほうがよい」という意味です。「物事は、最初が肝心である」というたとえにも使います。新しい年になったら、6年生は3月に駒込小学校を卒業して4月から中学生になります。5年生は最上級生の6年生に、4年生は5年生にと、みんな一つずつ学年があがります。このことを頭に入れながら、「2024年令和6年はこんな年にしたい」「自分はこれをがんばりたい」という目標を決めて、その計画を立ててほしいと思います。
 しかし、何もしないで新年を迎えても、新しい目標を持つという気分にはなかなかなれないものです。そこで、新年をむかえる準備をすることです。その1つが「大掃除」です。みなさんがいつも使っている部屋や机、普段きれいにしきれないところを見つけて、ピカピカにしてください。おうちの人が掃除をしていたら、進んでお手伝いをしましょう。身の回りをきれいにすることで、「新しい年が来るんだな」という気持ちになり、「来年はこれを頑張ろう」という、新たな自分の目標も見えてくるはずです。
 3学期、1月9日に、みなさんが一年の目標をもって、元気に登校してくるのを楽しみにしています。
 これで、校長先生のお話を終わりにします。

校長室から(2022年度)

人の役に立つということ(校長ブログ)

2022年5月19日 16時20分

「ボランティア活動」という言葉が一般的になってきたのはいつ頃からでしょうか?

以前の職場で、社会教育実習(青少年教育施設での仕事を体験し学ぶ実習)に来た大学生と話をすると、ほとんどの学生が「ボランティア活動をしています。」と答えます。「子供たちの学習ボランティアをしていました。」「子供たちのキャンプのボランティアをしていました。」などなど。私の学生の頃とは比べものにならないくらい今の学生は意識が高いし、しっかりしているなと本当に感じます。

おそらく私が大学生のころも意識が高い学生は、きっとボランティア活動をしていたのだと思います。私はというと特に意識が高いわけでもなく、どうして自分の大切な時間を使ってボランティア活動なんてするんだろうと思っていた自己中心的で、今考えればちょっとイヤなやつでした。

そんな私の意識が変わった大きなきっかけは、2011年の東日本大震災です。当時私は、茨城県からの派遣で福島県にある国立那須甲子青少年自然の家に勤務していました。3月11日その日は私は宿直(泊まりの勤務)の日でした。

忘れもしない14:46。いつになく大きな地震だなぁと思いました。テレビのニュースで東北地方が大変なことになっていることを知りました。テレビの画面に映し出された映像、日本地図の東日本側の海岸が赤く点滅していました。津波警報です。信じられないような光景を目の当たりにし、ことの重大さを確信しました。その日から2週間ほど自宅に帰れなかったのを覚えています。

数日後、原発の爆発の映像では戦争でもおきたのかと思ったくらいです。テレビで施設が避難所になることを知り、半年ほど避難所運営を経験しました。避難所運営といっても今のように防災への備えや準備もない時代ですから、まずは職員が協力して避難所運営を進めていきました。そのうち事務所には日本各地から医療関係者や様々なボランティアの方々、福島県や浜通りの市町村関係者などなどたくさんの顔の知らない人たちであふれました。事務室は24時間対応だったので、職員は3交代で昼も夜も対応しました。何がなんだかわからない日々が続きました。

避難者は浪江町など浜通りからの避難者が多く、最大で620名ほどの避難者を受け入れました。那須甲子では最大で400名程度が定員なので、ホールや研修室にも布団を用意して対応しました。

最初の頃は、支援物資もなかなか届かず、食べ物も食堂の余り物、カップラーメンなどが続いたり、水道管が地震で壊れお風呂にもなかなか入れなかったりの状況で、避難者から「なんでこんなものしか食べられないんだ!」とか「風呂も入れないのか!」などの苦情もたくさんいただきました。

そのうち、職員中心に避難所を運営するのではなく、自治組織を立ち上げて避難者の方々に率先して運営に携わっていただこうと考え、何度も話し合いを持ちました。そのうち自治的な避難所運営も軌道にのり、我々職員は、避難者の方々のメンタルケアのための教育事業に取り組んだりすることができるようになりました。

今でもその当時関わりのあった方々とはたまにお会いしたり、連絡を取り合ったりしています。

この半年間の避難所運営を通して、私の意識は180度変わりました。こんな私でも人の役に立つことができて、しかも「ありがとうございます。」とか言っていただける。なんだか今まで感じたことのないようなほっこりした感じ、恥ずかしいようなうれしいような複雑な感じ、でもとても心地良い感じでした。困っている人の役に立つことを体験を通して学ぶことができました。

避難所運営が落ち着いてきた頃には、休日は同僚と一緒にもっと被害が大きかった海岸沿いにボランティア活動に行きました。これからどうしたらこの場所が復興していくのか想像できないくらいの被害の場所がたくさんありました。

そのような経験を通して、私の中でボランティア活動は何か特別なものではなく、普通のことになっていきました。以前の災害では常総市や栃木の水害などにもボランティアに行かせていただきましたし、最近ではトレイルランニングレースのボランティア、子供たちのスキースノーボード教室でボランティアをさせていただいています。 

本校でも、先日お伝えしたように「学校支援ボランティア」の方々に大変お世話になっています。小さな学校なので、とても職員だけの力では継続して環境整備するにも限界があります。学校支援ボランティアの方々のおかげで、花壇や校庭の草取りなどをしていただき、とってもきれいになり、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

ちょっとしたことでも人の役に立って感謝していただける。こんな経験をすると意識が大きく変わるんだなぁということを身をもって経験しました。

そんな「困ったときはお互い様」という日本の良さを今の子供たちにも丁寧に伝えていきたいなぁと思っています。

駒込小学校長 鈴木 昭博