校長室から(2023年度)

3学期始業式「1年間のまとめを」(校長先生の話)

2024年1月9日 09時20分

3学期の始業式でお話しした内容です。


新年のあいさつをしましょう。明けましておめでとうございます。

 今年は、自然災害で始まる年となってしまいました。能登半島地震です。たくさんの方が亡くなり、未だ行方が分からない人が大勢いることを考えると、とても心が痛みます。人間の力では、自然災害を止めることはできませんが、人間には知恵があります。万が一のために、逃げる練習をしたり、非常食を準備しておいたりすることができます。これからも、自分の命を守るために、防災についてみんなで考えていきましょう。

 さて、今日から、3学期が始まります。今、1年生と6年生のお友達が、3学期の抱負について発表してくれました。3人とも、とてもすばらしい目標を立てました。「がんばりたいこと」を自分の言葉でしっかりと表現できて、「今年も頑張るぞ」というやる気が感じられました。とてもすばらしい発表でした。

 3学期、みなさんが学校に来る日は、51日です。6年生は、3月19日が卒業式ですので、49日です。3学期は、とても短いですが、1年間のまとめをして、次の学年にあがる準備をする、とても大切な学期です。そこで、校長先生から、みなさんに、大切なことを2つお話します。

1つ目は、「学習について」です。今の学年で習うことを、しっかり身に付けて、次の学年に上がってほしいと思います。できるようになったことは、必ず次の学年で役に立ちます。分からないことは、そのままにしないで、先生に聞いてください。苦手だなと思うことでも、本気になれば、いくらでも挽回できます。次の学年に上がる準備だと思って、一生懸命がんばりましょう。

 2つ目は、「友達について」です。3学期も、友達と楽しく過ごすため、次の3つの気持ちを大切にしたいです。1つめは、「お友達、元気かな」と友達を思いやる気持ち、2つめは「どうぞ、どうぞ」と譲り合う気持ち、3つめは「ありがとう」の感謝の気持ちです。思いやりの気持ち、譲り合いの気持ち、感謝の気持ちです。これをみんなができるようになると、教室がもっともっと温かくなり、友達との生活がさらに楽しくなります。友達と楽しく生活できれば、勉強ももっともっとできるようになります。

 最後に、6年生へお話しします。この駒込小学校で過ごす、残りの49日間、1日1日を大切にしてください。この17人で生活するのは、これが最後です。仲間を大切にしてください。委員会の仕事、縦割り班清掃、登下校の班長など、最上級生として、自分の仕事を最後までやり遂げてください。それが、中学生になる準備です。3月19日、みんなで気持ちよく、卒業式を迎えましょう。

これで、校長先生のお話を終わりにします。静かに聞いてくれてありがとう。

校長室から(2022年度)

私の3月11日(校長ブログ)

2023年3月10日 16時20分

2011年3月11日14時46分、私は福島県にいました。

茨城県からの派遣で、福島県西郷村にある「国立那須甲子青少年自然の家」に勤務していたからです。

もうすぐ派遣1年目が終わろうとしていたころ、同じく他県から派遣されている先輩職員と一緒に、教育事業の準備をしていました。

突然、いままで経験したことがないような大きな地震に襲われました。

いつもならすぐに終わるであろうと思っていた地震はなかなか揺れが収まらず、急いで施設にいる利用者をみんなで外に避難させました。

その日、私は宿直(泊まりの仕事)でした。

夕方、事務室で地震の情報を得るためにテレビを見ると、画面には日本地図の東側に赤や黄色が点滅している映像がありました。

一体何が起こっているのかわからない状況でした。

それが津波警報だと知ったのはその後すぐのことでした。

さっきの大きな地震の影響で、東日本の海岸では大津波がきていることを知りました。

とんでもないことが起きた。どのくらいの被害がでるのだろうか。

その時は、まだ地震、津波の被害しかありませんでした。

そして、今までに経験したことがないような大地震、大津波だということが判明するとともに、数日後またテレビには今まで見たことがないような映像が映し出されていました。

福島第1原発の様子です。

原発が爆発している!

想定外の津波の影響で、原発の施設が大きな被害を受け、溶けた核燃料のカバーなどから発生した大量の水素が建物の上部にたまり、水素爆発が起きたのです。

大地震、大津波に加え、原発事故

福島は、東日本は、どうなってしまうのか?! そんな状況でした。

原発事故から数日後、那須甲子青少年自然の家は、避難所となりました。

満杯に入っても400名ほどの定員のところに、多いときには620名をこえる方々が避難してきました。

私たち職員は、これまでやったことがないような避難所運営を行っていくことになりました。

事務室は、24時間体制、職員は3交代で避難所運営にあたり、約半年間の避難所運営が続きました。

全国各地から医療関係者やボランティア、行政関係の方々など、事務室に今まで会ったことがないような方々が毎日のように新しく入ってきました。

現在のように防災教育や避難所運営が当たり前になる前だったので、職員がみんなで話し合い協力して手探りの状態から避難所運営を行っていた状況でした。

その後、状況が少しずつ落ち着いてきてからは、私たちは避難者の方々向けに事業を行ったりしました。子供、成人、高齢者などとカテゴリーを分け、少しでも避難生活での気を紛らわして欲しいと思ったからです。

その年の夏には、福島県内の小中学生を対象として夏休み中に3泊4日の「リフレッシュキャンプ」を11回開催しました。のべ約3,000人の子供たちのキャンプに対応しました。

そして、翌年「なすかしドリームプロジェクト」という14泊15日の福島復興支援事業を担当しました。

今年の夏に、その10年後の再会プロジェクトを実施しました。

福島県は、今でも第2のふるさとだと思っています。

そして、この大地震、避難所運営が、私に大きな影響を与えました。

若い頃の私は、何を好んでボランティアなんかしているんだろう?と言った人間でした。

それでも、この避難所運営を通して、全国各地から応援に来てくれる様々なボランティアの方々、医療関係者の方々、本当に素晴らしい方々にたくさん会うことができました。

そして、手探りではありましたが、当時の職員と協力して約半年にも及ぶ避難所運営もさせていただきました。避難者の方々に対して、何ができたかと言えば、何もたいしたことはできていませんでしたが、避難所から去って行く時には、「本当にお世話になりました。ありがとうございました。」とお声かけいただきました。

こんな私でも何か人の役に立って、感謝してもらえるんだということを感じたときに、「人のために」という意識が私の中に芽生えた瞬間でした。

その後、同僚と一緒に、被害が大きかった宮城県にもボランティアで何度か手伝いに行ったり、常総市の水害や、栃木県での水害の時も、私にできることとして少しでも役に立てればとボランティアに出かけるようになりました。

私の3月11日は、私を変えた3月11日です。

毎年、しっかりと忘れないように、そしてこれからも福島や東北の復興にも少しでも役に立てるように行動していきたいと思います。

駒込小学校長 鈴木 昭博

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警察車両で避難者が避難してくる様子     避難者が助け合って避難物資を所に搬入している様子

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宮城県亘理町にボランティアに行ったときの様子。

当時の海岸沿いの被害は言葉では表せないような状況。呆然としました。