校長室から

自分の感受性くらい(校長ブログ)

2022年6月21日 16時20分

自分の感受性ぐらい
             茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ


職員会議の資料を見ていると、思わずこの詩が目にとまりました。
教務主任の先生が、行事予定表に載せてくれたものです。

普通、行事予定表というと単なる行事予定だけが記載されているものがほとんどですが、本校の教務主任は行事予定表のちょっとした余白にも、みんなで確認したいことや授業のユニバーサルデザイン、訪問の記録や打ち合わせの結果、読んでいる本の話、そして担任の先生へのねぎらいの言葉などなど、本当にタイミングよくその時々に応じた情報を掲載してくれています。

今回の詩もそうです。

「茨木のり子」さんの詩は知っている人が多いと思いますが、私が初めて知ったのは中学生を担任している頃、その頃ちょうど「ヤンキー母校に帰る」というドラマ(北海道にある北星余市高校のドキュメンタリードラマ)が放映されており、そこで紹介されていたと思います。

茨木さんの直球ストレートなこの詩に自分が恥ずかしくなるような強烈な感情を抱いたことを今でも覚えています。

そして、ちょうど思春期まっただ中の中学生にも茨木さんの詩を感じて欲しいと思い、自分のへたくそな習字で書いた茨木さんの「自分の感受性くらい」の詩を教室に掲示していました。

何か嫌なことや悪いことがあるとついつい人間は弱いので、社会が悪い、大人が悪い、環境が悪いなどと自分の外側のせいにしがちです。

私もそうです。

しかし、この詩を読むと、「すいませんでした!」と気持ちよく反省することができます。
人のせいにする前に、自分には何が足りなかったのか、何ができなかったのか、しっかりやったのか・・・。

ずっと忘れていた大切なことを、この詩でまた思い出せました。

背筋がピン!となった感じです。

ありがとうございました!

駒込小学校長 鈴木 昭博