校長室から

趣味の話(校長ブログ)

2022年12月14日 14時58分
人生をより豊かな物にするひとつとして趣味があります。
私は、小さい頃から好奇心旺盛で落ち着きがなく、飽きっぽい性格だったので、これまでもいろんな趣味がありました。
小学生の頃は、当時流行っていた切手を集めたり、前にも書きましたがお年玉でテントを買って庭や近所の公園でキャンプをしたり、鬼怒川が近かったので友達と釣りに行ったり、そのうちゲームセンターができて友達とインベーダーゲームにはまったりでした。
中高と、マンガ「キャプテン翼」の影響で、サッカー部に入部し、サッカーしかやっていなかったように思います。サッカーはその後、高校で半月板を手術しましたが、社会人になってからも友人たちと社会人の古河リーグで数年間試合をしていました。
高校を卒業した春休みに何かしたくて、自転車に寝袋を積んで、房総半島を一周したこともありました。
大学では、マンガ「バリバリ伝説」を読んでバイクが欲しくなり、バイトに精を出し、ヤマハのFZR400を購入し、北海道や信州、北陸など友達とツーリングに行きました。バイクは、その後セローやスーパーカブにも乗りました。
その頃、初めてフルマラソン(つくばマラソン)を走り、ほとんど練習していなかったので、ゴールしたときにはゴールを撤収しているところだった気がします。きっと6時間以上走っていた(おそらく最後はほとんど歩き)気がします。
社会人になってからは、キャンプが好きだったので、今で言うオートキャンプに行ったり、熊本で清水國明さんの手作りカヌー教室があると聞いて、カヌーを作りに行ったりしていました。そのうちオートキャンプでテントの設営等がめんどうになり、子どももできたので、キャンピングカーで家族でキャンプやスキー場に行くようになりました。
中学校に勤務していたときは、同僚とMTBを買って耐久レースに出たり、筑波サーキットで自転車の耐久レースに出たりするようになりました。
ずっとチームスポーツをやっていたので、その頃から個人のスポーツにも興味を持ち始め、どうせならトライアスロン(スイム、バイク、ラン)に出てみたいと思い、最初は近くの渡良瀬遊水池で開催されていた短い距離のトライアスロン大会に出場しました。渡良瀬遊水池の水はあまりきれいでなかったので、陸に上がってきた時には何だかくさいなぁと自分で思うくらいでした。そのうちだんだん長い距離に挑戦したくなり、茨城県の神栖市で開催されている波崎トライアスロン(スイム1.5㎞、バイク40㎞、ラン10㎞のオリンピックディスタンス)に出場し、初めて海で泳ぐ大会に出場しました。やはり海の方が体が浮くので、泳ぐのはとても楽でしたが水深があるのでとても怖かったのを覚えています。 
そのうち、日本で一番長い距離のトライアスロンの大会が佐渡島で開催されていると知り、佐渡国際トライアスロン大会(スイム3.8㎞、バイク190㎞、ラン42.195㎞)に2年連続出場しました。

今思えば全く準備が甘く、バイク(自転車)のパンクセットも持参しておらず、冷や汗ものでした。海を3.8㎞泳ぐのも初めてで、海岸から見ると遙か彼方に折り返しのブイが小さく見えました。波があるのでまっすぐ泳ぐことも難しく、たくさんの参加者がいるので体がぶつかったりと、死にものぐるいで泳ぎました。陸に上がればとりあえず命の危険は下がると安心したことを覚えています。それでもバイク190㎞は、佐渡島を一周するのですが、これもまた事前の下調べが当時は全くできていなくて、かなりの上り下りがあることが本番で知りました。バイクをこぎながら、辛くてつらくてどこかでパンクでもすれば言い訳ができるなぁとか本気で思っていましたが、そんなときに限ってパンクもせず、無事にトランジッションエリア(自転車を置く場所)まで戻ってきました。

そして最後のフルマラソン、本当にへろへろになりながらもゴールに近づいていくと沿道にはお祭りのようにたくさんの応援の方々がいて何だか涙が出てきました。スタートが朝の6時、ゴール制限時間が夜9時30分でしたが、私はなんとか2年連続制限時間15分前くらいに完走することができました。今思えばよくゴールできたなぁと思います。
日本で一番長い距離トライアスロンを完走することができたので、何だかとても充実感を覚えたこと思い出します。その頃、何だか山を走る競技があるということを知りました。山岳耐久レースです。今でいうトレイルランニングです。
小さい頃は山は走ってはいけないというのが常識でしたが、スポーツの世界では山を走るんだということを知りました。当然、走って登れないところは歩きますが、自分の食料や水分を小さなザックに入れて山を走るスポーツが、とてもシンプルで、舗装された道路を走るよりも、とても気持ちよく、どはまりしました。
熱しやすい自分は、やはり短い距離からレースに出場し、完走すると次の距離のレースに挑戦するということを繰り返しました。
そして、トレイルランニングのレースでも最高峰が100マイル(約160㎞)レースだと知りました。今ではもっと長い距離もありますが。アメリカやヨーロッパでは、100マイルレースが数多くありますが、日本で一番有名な100マイルレースはUTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)と言われる富士山の周りを一周するレースです。とにかくそれに挑戦したくて、当時県庁(県教委)に勤務していた頃は、22階の職場まで毎日エレベーターを使わずに上り下りをしたり、長い距離を走る練習のために水戸から県西まで走って帰ったり、筑波山の縦走(岩瀬駅から筑波山神社)を繰り返したりしていました。
2015年のUTMFでその努力が報われ、初出場初完走することができました。約42時間かけての完走でした。ほぼ3日間雨の中のレースで、レース後足の爪がはがれたことを覚えています。ここから100マイルレースへの魅力に引き込まれていきます。
100マイルレースの魅力は、マラソンのサブ3ランナー(3時間を切るランナー)など私がひっくり返っても勝てないような方々にマネジメントをしっかりすれば勝てるところです。自分の体調や足の状況、メンタルの状況を把握し、とにかく進み続けること、動き続けることをやめなければゴールにたどり着けるところです。
100マイルレースは、まさに人生に似た旅です。誰のせいにもできない、自分の責任の戦いです。日々こつこつと努力を続け、小石をひとつひとつ積み上げて大きなピラミッドをつくるようなものです。54歳の今になってそういう日々こつこつと積み上げることの大切さがやっと少しわかってきたような気がします。
私の夢は、80歳になっても元気に100マイルレースを完走するようなおじいさんになることです。

その夢の達成に向けて、あきらめずに日々精進していきたいと思います。
子どもたちにチャレンジすることの大切さを話しているので、まずは自分がチャレンジすることを続けていきたいと思います。
<主なロングレースのこれまでの結果>
2006佐渡国際トライアスロン大会(スイム3.8㎞、バイク190㎞、ラン42.195㎞)完走
2007佐渡国際トライアスロン大会(スイム3.8㎞、バイク190㎞、ラン42.195㎞)完走
2013日本山岳耐久レース長谷川恒男カップ71.5㎞ 完走
2015UTMFウルトラトレイルマウントフジ 168㎞ 41:55 完走
2021小江戸大江戸200㎞ 32:18 完走
2022球磨川リバイバルトレイル100マイル 175㎞ 35:26 完走
2022信越五岳トレイルランニングレース100マイル 163㎞ 31:28 完走
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